太極拳をやっていると「気」を感じられるのようになるのでしょうか?と言う感じの質問をたまに聞かれます。太極拳を長くやっているけど、いまだに気を感じることができない、と嘆いていた人もいました。
昨日のブログでは、「行功心解(ぎょうこうしんかい)」の冒頭、「意を以て気を行う」を読み始めました。
そもそも、「気」ってなんなのかを今日は考えてみたいと思います。
YouTubeの映像なんかで、触れただけで数人の人を後ろに飛ばしてしまう映像を見たことはないでしょうか。あれが「気」のなせる技で、「気」は何か特別なことをできるようになる秘訣、のように思っている人もいると思います。実は私もそうでした。
鍛え方によってはそんな不思議な使い方もできるのかもしれません。でも、「気」って言うのは、そんなに特別なものではなくて、「世の中にあるすべてのものの最低単位の構成要素」と定義したいと思います。つまり、万物は「気」によって成り立っている、って言うことです。
ちょっと待って、それって「原子」と違うの?って思いませんか?原子って、「通常の化学的な方法ではそれ以上分割できない物質の基本的な構成単位粒子」と定義されます。どんなものも構成要素を分析し続けると最後は「原子」に辿り着く、と理科の時間に習った記憶があります。
では、「原子」と「気」の違いってなんでしょう?
一つ目は、それぞれの考えが出てきた文化的背景の違いがあります。原子という考え方は、古代ギリシアで生まれたそうです。西洋的な研究は「分析的」だと言われることがあります。大元になっている物質はなんだろうと突き詰めた結果たどり着いた考え方です。
「気」は言わずもがな、中国が発祥の考え方です。ここでは、物質の分析に特化するのではなく、物質の機能も合わせて考えることで、物質の成り立ちを全体的に考えようとします。
こうやって書いてみると、ミクロとマクロの視点の違いのようにも思えます。とことん細かい単位まで分析を続けて辿り着いた原子がミクロ、物質だけではなく、その機能まで含めて全体的に構成要素を把握しようとした「気」がマクロです。
二つ目は、「原子」が構成要素とされるのは物質に限られます。それに対して、「気」は物質だけでなく、「いのち」や「こころ」、さらには宇宙の構成要素とも考えられます。触れるか触れないかに関わらず、すべてのもの、万物の構成要素とされるのが「気」です。
三つ目は、「気」はエネルギーを持つとされることです。単なる構成要素ではなく、それ自体がエネルギーを持っているため、さまざまな機能が生まれる、と考えます。「もの」だけに注目するのではなく、「機能」も一体として考える中国的な発想がここから生まれてきます。
最小単位の集合がさまざまな物質になるわけですが、同一の最小単位がいくら集まっても、同じものしか出てこないように感じませんか?「原子」からのアプローチでは、原子には「元素」と呼ばれるさまざまな種類が会って、それの組み合わせで異なる物質ができると考えます。
「気」の場合には、持っているエネルギーの現れ方の違いで、さまざまな異なる現象が生まれると考えます。
こうやって整理してみると、「気」自体はなんらミステリアスなものではなく、世の中万物を構成する最小単位をどう定義するかの一つの方法だと言うことになります。
もうちょっと書きたいことがあるので、明日のブログに続きます。
これからもいろいろな話題を紹介していきます。
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