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「争わない」について感じたこと

執筆者の写真: Mitch SatoMitch Sato

この間、スタジオで套路の練習をしていたとき、近くで大きな声で笑いながら雑談をしている人がいました。套路をやっているときは、心を落ち着かせてできるだけ静かな心持ちでやりたいものです。あんまりいい気はしませんでした。早く静かになってくれないかなぁ、と思いながら、集中できずに、套路の動きを黙々と続けました。


そんな状態でも心を落ち着かせてできなければ、いけないなぁ、なんて思っていたら、ふと気づきました。スタジオも今自分がいるこの空間も、自分のものではありません。私だけかもしれませんが、自分がいる場所、立っている場所って、なんだか自分のもののように感じがちではありませんか?その場所を、音であれ、光であれ、物理的にであれ、侵害されると、いい気分がしなくなります。


自分のものではない、って思えるようになったら、ちょっと気分が楽になりました。自分のものではないのであれば、それを変えることはできない、自分の周りで他人がどれだけ騒ごうが、その状態を変える根拠は自分にはありません。


套路をこの場所でやっているのは、自分の勝手だし、その周りで騒いでいるのは、その人たちの勝手です。お互いに勝手をしているわけで、片方だけの言い分が通ることはないのではないかという気がしてきました。


それでは、変えられるものは何かないのか、って考えてみたら、自分の感じ方は、変えることができると気づきました。自分の心や身体は自分のものか、簡単に変えられるものなのか、っていうのは、難しい議論があるのかもしれませんが、少なくとも、他人に干渉することなく、自分の感じ方を変えることはできそうです。


こう考えると、自分の周りで起きていることに、抗うのではなく、それを受け流していけば、自分の気分も落ち着いた状態を保てるようになりました。


争わないことに関しては、老子を読んでいて何度も出てきました。今まで、争わない=物理的に戦わない、といった浅はかな理解をしてきました。争はないのは、身体だけではなく、心も争うわないようになると、イライラすることも少なくなって、穏やかに過ごせるのかな、って今更ながら感じました。


大したことのない気づきですが、自分にとっては大きな一歩だと感じました。どんなときにでも、誰に対してでも、こういう気分で接することができるようになると、より幸せになれるのだと思います。それを目指しながら、修行を続けていきたいと思います。




 

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