何が禍福につながるかは本当にわからないものです。
コロナ禍で大きな影響を受けた人もたくさんいると思います。振り返ってみると私もかなり大きな影響を受けました。
コロナ禍の前、私は、シンガポールで自分の会社(と言っても従業員は私一人ですが)を立ち上げ、日本の会社が東南アジアに進出してくるお手伝いをしていました。シンガポールを拠点にしながら、タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピンあたりの市場調査や顧客開拓をサポートするのが主な仕事でした。
当時は、それらの国への出張もかなり頻繁でしたし、プロジェクトの関係で、半年ほどバンコクに居住したこともありました。今思うと、この頃は、会社の売り上げも悪くなかったし、羽振りも良かったです。
そこに、コロナ禍がやってきました。開拓を予定していた見込み顧客に打ち合わせをお願いしても、来ないでくれ、と言われるようになりました。初めのうちはまだ出張ができたのですが、徐々にシンガポールから出ることが難しくなりました。始まろうとしていたプロジェクトも、対面の打ち合わせができず、コミュニケーションが十分に図れないことから中止に追い込まれました。
私の感覚では、シンガポールは、コロナ禍に対する対応がかなり早かったと思います。あっという間に、国外に出ることだけではなく、自分の住んでいるところから出ることも制限が入り始めました。
まともに仕事ができなくなってきたので、市場調査を依頼されていた日本の会社との契約も打ち切りになり、収入がなくなりました。
そのころは、太極拳教室の2階に住んでいました。住んでいるところから出られない、ならば、住んでいるところを200パーセント活用しよう、という発想になりました。普段教室に使っているスタジオが、誰も使わない状態で放置されているので、とにかく練習に打ち込みました。この時は本当によく練習しました。45分かかる套路を毎日3、4回平気でやっていました。
幸い、会社がうまく回っていた時の蓄えがあったので、それを切り崩して、生活費を賄うことができました。学校の2階に住んでいたので、家賃も安く住んでいました。もともとお金をあまり使う生活をしていなかったのも、功を奏しました。
そうこうしているうちに、数年間太極拳の訓練に打ち込んで、身につけた上で、お金がなくなったら東京に戻って教室をやろう、と考えるようになりました。自分の会社の本来の仕事をすることなく、ほとんどの時間を自分の鍛錬と教室で教えることに集中しました。
ここで、もう一つ偶然がありました。隣の部屋に住んでいた人に、太極拳を教えてほしい、とお願いされました。その頃、すでにグループレッスンは教え始めていたのですが、個人レッスンは未経験でした。お互い、時間は持て余すほどあったので、一つ一つの動きを確認しながら、丁寧に教えることができました。この時の経験が、後に自分の教え方の基礎になっています。
行動制限が緩くなっても、教室運営は当然色々な制限を受けました。私自身は、一介のインストラクターなので、施策を考えることはなく、学校が決めたことに従っていたのですが、教室運営の難しさ、色々なことを考えなければいけないことを目の当たりにできました。
コロナ禍の直前から教える立場になって、そろそろ5年近くになります。コロナ禍がなかったら、今の私はなかったと思います。結果としては、とても楽しい、良い経験になりました。
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